田中智学資料一括 鷲塚清次郎・潤一郎旧蔵
田中智学を中心とする国柱会関連の書簡・色紙・資料等、80サイズ段ボール一箱分の分量。
田中智学より鷲塚清次郎・潤一郎・きぬ宛の書簡7通、国柱会より清次郎・潤一郎宛書簡3通、田中智学の色紙9枚、田中芳谷の色紙7枚、智学・鰭崎英朋・山村耕花等が描く扇型の書画帖、「財団法人国柱会資成部会計規定」と題された肉筆資料ほか。その他清次郎・潤一郎宛の書簡・葉書18通、色紙、田中智学関係書籍3冊など。


鷲塚清次郎は東京・京橋の高級箪笥店の店主で、潤一郎は清次郎の長男、きぬは清次郎の妻か。清次郎は横浜で活動していた田中智学が東京に進出して間もない頃に立正安国会(後の国柱会)に入会した古参の支援者。明治34年に智学が鎌倉の日蓮上人辻説法跡を復興した際には、清次郎がかかる費用を全て拠出した。智学は清次郎を「国柱会創業の殊勲者」と称え、「鷲塚父子の殊勲をおもひて」という色紙を残している。



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