The Lark 1〜24号 合本2冊 Gelett Burgess編 William Doxey 1897年
『The Lark』はアメリカの詩人・作家フランク・ジレット・バージェスによって創刊された文芸雑誌。彫刻家イサム・ノグチの父としても知られる詩人・野口米次郎の作品が初めて掲載された雑誌として知られる。
若き日の米次郎は英語を学ぶために愛知県立中学校、そして上京し14歳で慶應義塾大学に入学するも、間もなく退学する。その後、寄宿先の志賀重昂の家に出入りしていた米国帰りの菅原伝なる人物の話を聞き、アメリカという国に強い憧れを抱くようになった。
1893年11月3日、米次郎は横浜港から単身船でサンフランシスコに向かった。18歳になったばかりの米次郎は期待を胸に上陸したが、会話もままならず満足な収入も得られない中で、すぐに現実の厳しさに直面することとなる。2年と数ヶ月の間、米次郎は様々な職を転々としながら、貧乏に喘ぐ生活を続けざるを得ない状況であった。
米国に渡ったものの何も成し遂げられないまま時間だけが過ぎていっていた米次郎であったが、ある一人の人物との出会いによって環境が一変する。その人物の名はウァキーン・ミラー。ミラーはサンフランシスコの対岸のオークランドの小高い丘で仙人のような暮らしをしている詩人で、米次郎は彼の家で居候しながら奥深き詩の世界に初めて触れることとなった。
ミラーの影響で詩作を始めた米次郎は、自らの作品を雑誌『The Lark』を持ち込む。『The Lark』は1895年に創刊された文芸誌で、当時3000部もの発行部数を誇る人気雑誌であった。編集者バージェスに作品を気に入られ、1896年7月発行の『The Lark』に米次郎の詩5篇が掲載された。『The Lark』に掲載された米次郎の作品は評判を呼び、その後4号にわたって詩が掲載されることになる。
その後バージェスは米次郎の詩を詩集として出版することも引き受け、1896年12月に『Seen and Unseen』が出版された。米次郎は若干21歳。日本人によって出版された初めての英詩集となった。
本品は、野口米次郎の詩人としての記念すべき第一歩である『The Lark』の創刊号から終刊号となる24号までを2冊に分けた合本。野口米次郎の詩は15・17・19・20・24号に掲載。2冊とも背痛み。紙が痛みやすく、1冊目の遊び紙が外れ、20号最終頁に破れあり。
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